アート系トーク番組 art air の日記

アート・美術・幼児造形などについて

GW前に制作のひとつの山を越えました


新しい下地に変えた作品を3枚同時に

制作進行していましたがGW前に

ようやく完成しました(^0^)

すべてキャンバスに油彩、アクリル、F30サイズです

この3枚目の作品がいちばん苦労しました。

なんか もののけ姫のサンみたいな印が

顔につきましたが、これはこれで今回の制作の

大きな収穫です。


部分


今回の制作では、いくつかの新しい展開があります。

1つは下地を変えたことです。

もうひとつは作品を「ポートレイト」肖像画

ジャンルとして再解釈したところです。

肖像画は西洋のアカデミックな絵画の重要な1ジャンルです。

その他、歴史画>風俗画>肖像画静物画>風景画とあり

>のような階層化が17世紀ごろからされていました。



さて肖像画として作品を再解釈したとき

改めて自分が私(日本人)の主体性のあり方に

ついて感心があるんだなと気づきました。



P80サイズ キャンバスに油彩 顔料 アクリル 2005年



この作品は2005年に描いたジャコメッティーの影響

が強い作品ですが、人の在り方、実存的なところから

スタートしている作品です。

このころは、まだ実態がなく棒だけの主体を

描いていました。



部分



で、いろいろな芸術書、思想書をよみあさって

少しずつ主体の輪郭を作ってきたように思います。

そして西洋的な主体の観点から見ると

日本人の主体は幼く子どものように見えるという

数年前から話題になっている主体の幼児性

というところが見えてきました。



しかし、私はその幼児性の中にこそ

私たちの生活の豊かさや楽しさを

発見できるような気がしています。

西洋的な主体は一神教の神さのもと

幼いときから父性的な原理の中で

育っていきます。狩猟民族の厳しい

状況の中でも神との契約を強固な守り札として

強い自我を育んできました。

大人になる際は、母性的な大地との

つながりも切断して1人で立てる

自立できる主体性を形成します。




一方、日本人の私たちは母性的な

農耕社会の中で、大地とのつながり

すなわち母性を切り捨てずに

それを持ちながら大人になります。

強い自我の代わりに調和や気配りができる

農耕作業を集団でできる協調的な主体性を

育んできました。

自然や野生、子供や未熟なものを切り捨てずに

愛でる文化です。



西洋人から見れば、このような文化は

成熟していない幼児のように見えるのかもしれません。




しかし成熟の仕方には、いろいろあると

最近思うようになりました。

西洋的な大人なだけが成熟した大人では

ないということです。



文化の数だけ成熟の仕方の数もあると思います。

日本の場合は母性の切断や強い契約の変わりに

様式や型の文化を大事にしてきました。

作法や華道など様式美を完成させ

それに準じることで成熟した身振りや

見方、考え方を身につけるというものです。

近代化が進み自我や主体性についての考えが

輸入され、ずいぶん様式的なものを封建的な

古い習慣として切り捨ててきましたが

日本人の成熟の仕方についてのヒントは

このあたりにあるように思います。

元服をする、ちょんまげをする。

リクルートスーツを着る、顔黒(ガングロ)をする

マイホームをもつ、マイカーをもつ

など、大人への通過儀礼は形をかえて

色々いまでもあります。


私たちは、そのような行いを皆と一緒で

主体性のない没個性の行いだと

批難するよりは、その様式を発展させて

ある美意識まで高めることが日本的成熟を

成し遂げるひとつの方法ではないのかと思うのです。



一方で自然や野生、子供や未熟なものを愛する行いも

私たちが幼いからではなく、そのようなものと

共生しともに歩んでいく文化なのだと

自覚して進んでいければステキなことだなと思いました。