アート系トーク番組 art air の日記

アート・美術・幼児造形などについて

「アートってなんだろう?」  サラとパグの会話より

サラ「アートってよく使う言葉だけど、いまいち漠然としてるよね」

パグ「うん、そうだね」

サラ「そうそう私が芸大生だったころ、私の絵をみて先生が「こんなのイラストだよ〜軽くてぺらぺらだよ」っていったの」

パグ「えっそれってひどいよね〜。イラスト描いている人にも失礼だよ」

サラ「ねっひどいでしょ」

パグ「でも、僕も学生だったころアートってなんだろう?ってよくかんがえたな」

サラ「アートって一言でいってもいろんな表現方法があるからひとくくりにしにくいよね。それにアート・デザイン・イラスト・どれも絵だけど、なんか違うような〜。後、大学なんかでも造形大みたいに造形って言う言葉もあるでしょ」

パグ「造形っていう言葉で思い出したけど、僕は造形大に行ってたので造形っていうことばってなんだろう?って調べたことがあったな。大学時代」

サラ「えーどういう意味なの?」

パグ「うん、いろいろ調べてたら、

美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)

美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)

っていう本にたどりついたの。うろおぼえなんだけど、20世紀初頭のドイツで「バウハウス」という今で言うデザインの専門学校みたいなのがあったんだけど、ここの教授がすごいひとたちで、カンディンスキーやパール クレー、ヨハネス イッテンなどがやっていたんだよ。

サラ「カンディンスキーって、点とか線とか三角とか、わけのわからない形を描いていた人?」

パグ「うん、そう。抽象絵画の幕開けを推し進めたひとだよ。で、彼らは今までの絵を描いている具体的なものや意味にとらわれず、シンプルな要素、たとえばさっきサラが言ったように「点・線・面・色・素材」というような要素で画面をつくろう。まっ絵にしてみようとしたわけ。」

サラ「ふ〜ん、そういえばデザイン科の一年生なんかは、大小のマル●だけをつかって、いろんな感情表現をする課題をやっていたっけ」

パグ「うん、一見するとどうしてマル●だけで絵を描かないといけないの、なんて思うけどスポーツでいうと基礎トレーニングみたいなもんだよね。そして今までのアカデミックなやり方では、ただ正確に写生(明暗法や遠近法をつかって)することに重きがおかれていたけど異なる絵画の描き方があるんだっと発見したのは大きなできごとだったんだ。」

サラ「ふ〜ん、ところで造形ってどういう意味なの?」

パグ「そうそう、バウハウス時代に基礎づけられた「点・線・面・色・素材」などの要素を使って平面や立体を構成していくようなことを造形みたいな言い方を大まかにいえば言うんじゃないかな。たぶん・・・」

サラ「急に自身がなくなったような」

パグ「いや〜言葉の定義づけって難しいから、あまり決め付けるのもよくないし、みたいな(^0^)造形の基礎をみにつけるならこれがいいよ。

視覚表現―コンピュータ時代のベーシックデザイン

視覚表現―コンピュータ時代のベーシックデザイン

色の本棚 (一夜漬けの専門家シリーズ)

色の本棚 (一夜漬けの専門家シリーズ)

色彩論

色彩論


サラ「う〜ん、点と線とかって幾何学や算数みたいで、苦手。なんか絵を描く時って、もっとのびのび自由に表現したらいいなじゃないのかな?」

パグ「うん、表現・expressionっていうものは本来そうあるべきだよね。こどもが絵を描く時も思いを形や色で自由にのびのび表現することが、まず一番大事だもんね。幼児の教育理念でも造形より表現の方を重視するように最近かわってきているしね」

サラ「でも、芸大では好きなものを描いているだけでは、先生に軽いっていわれるし、なかなか制作も長続きしないし、思うようにいかなくてだんだん自分でも自身がなくなってきちゃった」

パグ「おいおい、大丈夫?自由に好きなことを描いていくのも、意外と楽じゃないんだね。自分の好きなこと、気になること、こだわっていることを一歩ずつ探って深めていくのがだいじなんだろうね。ただやみ雲に探すんじゃなくて、アートの歴史や他のアーティストの作品について学んでいくのもいい方法だと思うよ」

サラ「うん、わかった。ありがとう。アートについて調べてみるね。」


パグ「じゃあ、また明日」

サラ「また明日」


「翌日」  

パグ「おはようサラ」
サラ「おはようパグ」
パグ「アートについて何かしらべてきた?」
サラ「あっすっかり忘れてた。昨日はおいしいケーキを食べてねてしまったわ(^0^)」
パグ「あ〜、、、」
サラ「パグは何かわかった?」
パグ「うん、少し調べてきたよ」
サラ「で、どうだったの?」
パグ「うん、アート・芸術・美術いろいろな言い方があるけど、こういう考え方は日本ではいがいに最近の言葉みたいなんだ。明治時代、近代化政策が進められた時に、西欧から輸入された言葉なんだって」

まんが日本美術史〈2〉鎌倉江戸時代の美術 (アートコミック)

まんが日本美術史〈2〉鎌倉江戸時代の美術 (アートコミック)

美術史を学ぶなら最初はコレ。西洋・日本美術氏各3巻ずつあるよ


サラ「ふ〜ん、そうなんだ。そういえば昔に建てられた日本の美術館なんてないものね」
パグ「うん、日本の美術史なんかみていると明治時代に入るまでは、仏像やお寺などの宗教的な物や屏風や襖絵などお部屋を飾りつけをするものが出てくるよね。そこには美術としての意識はなかったみたいだよ。それがよくわかるのが、明治の廃仏キシャク(神教を敬い、仏教を廃絶する政府の運動)の時に法隆寺の今で言うと国宝級の仏像がもう少しで捨てられそうになったんだけど、外国人のフェノロサが美術としての価値を定めて、捨てられずにすんだっていうのは有名な話だよね」
サラ「え〜そうなの。信じられない。あんないいものを」
パグ「そうだよね。でもアートというものは制度的でその時代の政治や文化意識と深く関っているんだよ。たとえばモナリザの微笑みも西欧圏の作り上げた制度によって保障されているものだけど、ある集落の民族にとっては、あまりありがたいものじゃないかもしれないだろ」

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)

私達が無自覚に受け入れている現代の制度や構造について気づかせてくれる、とってもわかりやすくて面白いお勧め本


サラ「そらそうだけども。じゃあ、その美術の制度はいつごろできたものなの」
パグ「うん最初は中世の西欧で宗教美術として育まれたんだ。教会の装飾や布教のための絵画などがそうで、でもまだ美術家というよりは、職人が宗教のために何かをつくるという形だったんだ」
サラ「日本の仏像と一緒ね」
パグ「うん、そのあと有名なルネッサンス時代(15世紀〜)に入って、職人たちがより各々の技術やブランドをもつようになり、美術家として認められるようになって来たんだ。そして何かの役に立つために作られるものから、純粋に美を追求していくものに変わっていくんだ」
サラ「へ〜、ルネサンスてもっと昔かと思ったら以外に古くないのね。15世紀って1401〜1500年よね」
パグ「うん、日本でいうと室町時代ぐらいかな。その後、国王から特別な保護を受ける宮廷画家や美術学校、美術館などがつくられて、職人は高度な精神的仕事を営む「芸術家」として受け入れられ、またその作品は高値で売買されるようになったんだよ。
サラ「ふ〜ん、なるほどね。美術家や美術は、ながい文化のなかで育まれてきたんだね」
パグ「うん。だから近代に発達した美術史というものも、こういった考え方があって初めてできたもので、日本は明治になって美術史の編集をはじめたっていうことなんだね」
サラ「ふ〜ん、歴史ですね〜」
パグ「うん、だからアーティストは常に歴史的な文脈の中で作品が評価されてきたし、まあ美術史に名前が残るかどうかがそのアーティストの成功の一つの目安になっているよね」
サラ「そんなふうに、考えたことなかったな〜。でも、さっきパグがモナリザでいったように、文化圏によって価値や考え方が変わるっていったよね。」
パグ「うん」
サラ「だったら美術史っていう権威ある歴史も実はある民族にとっては、どうでもいいことなのかもしれないね」
パグ「うっ、するどいね!そうなんだよ。近代以降、この歴史観は神に変わる絶対のものだったんだけど、最近この歴史について疑問視する人たちもでてきたんだよ。歴史的な文脈でいうとルネサンス→近代絵画(美術制度確立)→市民社会による個人の表現→現代絵画→純粋芸術の行詰まり」という流れになるんだけども。もいちど人にとって絵を描くことはどういことなんだろうか?表現することはどういう意味があるのか?と見直し初めているんだよ。

1980年代以降の現代美術をまなぶならコレ!



サラ「熱いね、パグ」
パグ「うん、そこでルネッサン以前、たとえばラスコーの洞窟壁画にみられる表現性や子供たちの描く行為、こういった心の奥に向かう精神的なの行為をとおして、絵をかくことやものづくりをとらえ直すことで大きな可能性がアートや芸術にも開かれるのではと思うんだよね。

芸術人類学

芸術人類学

人にとっての表現行為の可能性を開いていく名著
関連サイト「はじめての中沢新一http://www.1101.com/nakazawa/



サラ「うん」
パグ「だから、絵を描くとき大事なのは、サラがいっていたように自由にのびのび表現するのが大事なんだけれども、制度から自由になるためには、その構造を理解して、ひとつひとつひも解いて自由を獲得することが必要なんだと思うよ。そして、たぶんそういった行為で生じていくのは、自身の根源的な内部に深くもぐること、そして、それにおぼれることなくまた浮上してくる作業のような気がするんだ」
サラ「なんかファンタジーだね。」
パグ「うん、ただ不要にもぐると、深くもぐれないか、途中で迷子になってしまうから、しかり学んで訓練しなくちゃね」
サラ「やっぱり努力がひつようなのね。トホホ・・・」
パグ「(^0^)」