アート系トーク番組 art air の日記

アート・美術・幼児造形などについて

「東京都現代美術館 SPACE FOR YOUR FUTURE-アートとデザインの遺伝子を組み替える」展


東京都現代美術館で開催されています
「SPACE FOR YOUR FUTURE-アートとデザインの遺伝子を組み替える」展
に行ってきました。
美術展を企画キュレーションしたのは、
12/17のNHKプロフェッショナルにも出ていた
キュレターの長谷川祐子さん。
「アートは人を自由にさせる」を信念に、
金沢21世紀美術館のオープニング展も
企画されていて、とても楽しかったので今回もぜひ行きたいと思っていました。

作品展の内容は


引用
「今、新しい表現はどこから生まれてくるのでしょうか。
引用や折衷のポストモダンの時期を通過し、
他分野の情報を広く共有できる21世紀において、
創造の現場に変化がおこっています。


アート・ファッション・建築・デザイン...
分野と領域を超えて活躍する13ヶ国34アーティスト/クリエーターが
提案する未来のコミュニケーション・スペース。
鑑賞者の感性や感覚、知的な触覚を刺激し、変容させる展覧会」
だそうです。


たとえば

この作品は、着ることができる作品です。
座ったり寝ることができる作品で、新たな部屋でのくつろぎ方
身体の所作の振る舞い方を提案しているのでしょうか?
クッションはやわらかいビーズが入っており、流動的です。

そしてこちらは、

あまりにも大きいため、
天井から吊っているのではないかと思うのですが
実はこの箱、ヘリウムガスを詰められ、
宙を浮遊し漂っています。


箱の重さは1トン!
展示中、浮遊する作品を作家の建築家・石上純也さんが
手で軽くつかんで動かしていたのが印象的でした。


そして、こちらは映像作品

海岸の防波堤でフリースタイルのスケートボートの
技(ダンス)を行っているのをスローで撮影しているのですが、
スポーツを超えて何か重力から解放された
地と天をつなぐシャーマニズムのような舞踊にみえて神秘的です。
古来、蹴鞠(けまり)も雨乞いの儀式に行われたり
またはブランコに乗るときなども、重力から解放されて独特の感覚を
覚醒しますが、そのような不思議な地と天をつなぐ感覚を
思い出さしてくれる作品でした。


このように、さまざな分野の作家たちがジャンルを横断し
それぞれの分野の要素を組み替えて未来の各々の
ユートピアを模索する展覧会になっています。


ただ、長谷川さんが企画する展覧会は内容は深くても
敷居が低いので、難しいことなしで、純粋な作品体験だけでも
十分に楽しめる展覧会になっています。


小学生3〜4年以上の子供からで十分に楽しめますので
お近くに行った際は、ぜひお立ち寄りください(^^)



さて最後に、それではどのような思考で、
このような展覧会は開催されているのか
それぞれのキュレーターのマニフェストを引用したいと思います。



2年に一度行われる現代美術の国際展である
2001年イスタンブールビエンナーで、初のアジア出身のキューレーター、
長谷川祐子氏がアーティスティック・ディレクターに就任し、
同氏のディレクションしたときのテキストです。
20世紀を総括し、21世紀を展望するアジアからの視点が提示されました。


エゴフーガル EGOFUGAL

引用
「展覧会のテーマとして掲げられている「エゴフーガル:EGOFUGAL」

このちょっと聞き慣れない言葉は「エゴ」(個我)と、
そこから遠ざかるという意味のラテン語「フーガル」を結びつけた言葉で、
今回のビエンナーレ展のテーマとして新たに生み出されたものです。


自我を重んじ「個人の自由を追求してきた」20世紀は、
私たちに物質主義や、金銭崇拝、競争、民族紛争といったさまざまな課題を残しました。
こうした問題をともに乗り越える態度として、
21世紀は「いかに自我から自由になるか」が一つの問いかけとなってきます。
しかし、近代的個人主義を経てきた私たちにとって、
自我は否定できない重要な個人の核です。
そこで「自我を重んじつつもいかに自我から自由になりうるか」という考え方が、
あらたな希望のよりどころとして浮かび上がってきます。


エゴフーガルとは、こうしたあらたな可能性を展望する言葉です。
そこには20世紀を動かす要因となっていた


Man(男性、個人主義)、


Money(金権主義)、


Materialism(物質主義)
が表す3つの"M"から、


"Co-existance" (共生)、


"Collective intelligence" (集合知性、知的コラボレーション)、


"Collective consciousness"(集合意識)
が表す3つの"C"へと移行していく方向性が含まれています





「2007年東京都現代美術館 SPACE FOR YOUR FUTURE アートとデザインの遺伝子を組み替える」展のテキスト

Space for your future―アートとデザインの遺伝子を組み替える

Space for your future―アートとデザインの遺伝子を組み替える


引用<「21世紀の特徴は、個人が情報化され、価値観も多様化し、
一方では多様なネットワークが発達したことです。
ここ数年のジャンルを横断するクロスオーバーな創造の動向は、
バックミンスター・フラーに象徴されるようなユートピア
目指して諸学が融合した20世紀初頭を想起させます。


ただ、大きく異なるのは、私たちの身体や世界が
環境、政治問題を含めてより複雑な状況に直面しており、
異ジャンルの横断、協働(シナジー)はこの状況を
共に生き延びていくための切実な手段の一つとして
たちあがってきている点なのです。
例えるなら、バイオテクノロジー、遺伝子組み替えなどの研究が
生き延びるための一つの方法であるように。


本展覧会は、これらの表現の新たな動向をアート、
建築、ファッション、デザインなど広い範囲の
ヴィジュアル・クリエイションから選んだ13カ国34アーティスト/クリエイターの
作品を通して見せようとする企画展です。


SPACE FOR YOUR FUTUREというタイトルにおいて、
SPACEは、単なる物理的な空間でなく、
自分の身体とその外部を入れ子状に含んだ、
一つの環境としての空間を意味しています。
領域横断の傾向は多くのクリエイティブな建築家、デザイナー、
アーティストにみられ、彼らは一つのヴィジョンのもとに、
複数のジャンルの表現手段や方法を自在に操りながら表現をおこなっています。
それはDNAの自在なプログラミングに似ています。

本展は、マルチ・ディシプリーナリーな創造を提案する都市、
東京から発信する新たな文化的マニフェストとなることでしょう。」






2007年水戸芸術館現代美術ギャラリー「夏への扉 -- マイクロポップの時代 」
キュレーター松井 みどりさんの


マイクロポップ宣言 : マイクロポップとは何か

引用
マイクロポップとは、制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼らず、
様々なところか集めた断片を統合して、
独自の生き方の道筋や美学を作り出す姿勢を意味している。

それは、主要な文化に対して「マイナー」(周縁的)な位置にある人々の創造性である。
主要な文化のなかで機能することを強いられながら、
そのための十分な道具を持たない人々は、手に入る物でまにあわせながら、
彼等の物質的欠落や社会的に弱い立場を、想像力の遊びによって埋め合わせようとする。


マイクロポップは、また、人から忘れられた場所や、
時代遅れの事物に目をつける。
その場所で見つけた小さな事実 --場所の隠れた意味を表すような-- をもとに、
人々や物を新たな関係性の連鎖のなかに置き換えながら、
コミュニケーションを促すゲームや集いの場をつくり、
共同体への新たな意識が育つきっかけをつくっていく。


マイクロポップの概念は、フランスの哲学者ジル・ドゥル−ズと
フェリックス・ガタリによる「マイナー文学」の定義と、
フランスの歴史学者ミシェル・ド・セルトーが主張した
「日常性の実践の戦術」の理論に触発されている。


ふたつとも、移民、子供、消費者など、
常に「大きな」組織に従属している周縁者と見なされている人々が、
その一見不利な条件を利用して自分たちに適した環境や新たな言葉を作り、
メジャーな文化を内側から変えていく、小さな創造」
革命的な力についての方法論なのだ。


マイクロポップの「ポップ」という言葉も、
ドゥルーズガタリの言い回しから採られている。
それは、アメリカのポップ・アートとは関係のない小文字のポップだ。
それは、大衆文化のメジャーなスタイルを指すのではなく、
制度にたよらず自分の生き方を決めていく、普通の人の立ち位置を示している。


知や価値の体系の絶えまない組み替えを現代の状況として受け止めながら、
彼らは日常の出来事の要請にしたがって自らの思考や行動の様式を決めていく。
それは、高等文化と大衆文化の階層にかかわらず、様々な体験から情報を得、
必要に合わせて知識を採り入れ組み替えることのできる、
大都市の住人やインターネットのユーザーの姿勢と同じだ。


この意味で、「マイクロポップ」は、マイクロポリティカルでもある。
文化の制度的な思考の枠組みや
グローバルな資本主義や情報網による物神崇拝に抵抗して、
「いまここ」の実質的な条件や要求に応えながら、
独自の知覚や創造の場を見いだし、確保しようとするその姿勢は、
個人の自発的な決定能力の、つつましいが力強い主張を示すのである。


それは、子供のような想像力によって
しばしば使い棄てられる日常の安い事物や
「とるにたらない」出来事をシンプルな工夫によって再構成し、
忘れられた場所や、時代遅れの物や、用途が限定されている消費財
新たな使い道を与え、人を自らの隠れた可能性に目覚めさせる


マイクロポップな姿勢はこのようにして、
凡庸な事象に潜む美を見い出し、
人と物が新たな関係性を結び意味を得る文脈を作り出していくのである。


マイクロポップな立ち位置とは、ポストモダン文化の最終段階において、
精神的生存の道を見い出そうとする個人の努力を現わしている。
それは、60年代に始まり、現在その非人間化の極限に達しているかに見える
「進歩」の過程への抵抗なのだ。


過度に工業化され、組織化された今日の世界を、
視点の小さなずらしやささやかな行為を通して生の柔軟さや
その複雑な多層性をつかまえることで変形しながら、
マイクロポップな人間は、
人間の生きる世界の価値の再生の可能性を広げていくのである」